2011年度山川菊栄賞選考経過の報告

                           2012324

                                  井上輝子

こんにちは。お久しぶりです。実は、山川菊栄賞の贈呈式は、昨年度は、3,11の大震災のため中止させていただき、贈呈対象者の方々には、別途、贈呈書、奨励金等をお届けしました。震災からの復興はまだまだですし、原発の今後も予断を許さない状況ではありますが、ともかくも今年度は、通常に戻って、このようなかたちで、贈呈式を開催できることを、喜びたいと思います。

さて、山川菊栄記念会では、今年度201081日から2011731日までの期間に刊行された著作物を対象として、この婦人問題研究奨励金にふさわしいと思われる作品を選考させていただきました。8月に各方面に推薦依頼のハガキを郵送すると共に、各種新聞に掲載を依頼し、広く推薦作品を募集しました。その結果、別刷リストにある32の作品をご推薦いただきました。

このリストを基に、記念会では925日と1123日の2回にわたって選考委員会を開催し、慎重審議の結果、大橋史恵さんの『現代中国の移住家事労働者―農村・都市関係と再生産労働のジェンダー・ポリティクス』を、今年度の山川賞にふさわしい作品と判断いたしました。決定に至るまでの選考委員会での議論の経過と、推薦された文献の概略、特に注目された、いくつかの作品について、ここで簡単にご紹介させていただきます。

リストにありますように、今年度は実に多方面な分野の、しかも充実した研究が数多く出されましたので、第1回選考委員会では、なかなか作品を絞り込めずに、悩みました。 

たとえば、5.斉藤治子『令嬢たちのロシア革命』は、ロシア革命を担った5人の女性たちの活動を、それぞれの個人史と革命史を重ねつつ描いた作品です。今までロシア革命というと、レーニンやスターリンやトロツキーといった男性たちの活躍ばかりが言及されてきましたが、女性の視点に立って、革命の歴史を描き直した点で、この本は、とても興味深い作品です。長年、ロシア現代史の専門家として研究と教育を続けてこられた著者が、大学退職後に、「歴史学と歴史小説の間」を狙って自由闊達に筆を進めた作品で、とても読みやすく、お奨めです。

8.池川玲子『「帝国」の映画監督 坂根田鶴子』は、日本初の女性映画監督坂根田鶴子の生涯を丹念に追いつつ、プロパガンダ映画「開拓の花嫁」を精緻に分析した作品です。男社会の映画界で、なんとか女性視点を盛り込んだ映画製作を果たしたものの、その作品自体が、大日本帝国の国策を進める役割を担ってしまったという、坂根のつらい軌跡に、著者は冷徹とも言える筆致で、迫ります。

13.木村涼子『「主婦」の誕生―婦人雑誌と女性の近代』は、『主婦の友』『婦人公論』等、婦人雑誌の誌面や表紙の具体的分析を通じて、婦人雑誌が、性分業とロマンティック・ラブに基づく「近代家族」の担い手たる「主婦」をいかに構築していったかを、明らかにした作品です。良妻賢母主義の学校教育とは異なって、婦人雑誌が、恋愛結婚と性別役割分担に基づく、近代的な主婦像を唱道することで、ジェンダー秩序への女性の能動的な適応を導いた実情を解明した力作です。

以上3作のように、長年の研究の蓄積を1冊にまとめた労作ぞろいで、この中には、他の賞を受賞された方もおいでです。一方で、29.田中ひかる『「オバサン」はなぜ嫌われるのか』のように、手に取りやすく、読みやすい中に、問題意識が明確で、鋭い分析が見られる本もありました。この本で、「オバサン」という言葉の背後に、中高年女性差別と、男性は年齢とともに地位も給料も上がっていくのに対し、女性は若さが第一で、30歳または35歳を過ぎると、無用者扱いされるという、年齢における男女二重基準があることが、裁判の判例文や新聞記事を使って暴露されています。

このように、今年はお奨めの作品が目白押しでしたが、選考委員会では、3.大橋史恵『現代中国の移住家事労働者』、6.大橋秀子『金子喜一とジョセフィン・コンガー―社会主義フェミニズムの先駆的試み』、14.赤枝香奈子『近代日本における女同士の親密な関係』の3冊について、第2回の選考委員会で詳しく検討し、大橋史恵さんに、今年度の奨励金を贈呈することに決定しました。

この3作品について、簡単にご紹介します。14.赤枝香奈子さんの本は、題名のとおり、近代日本における女同士の親密な関係について論じた本ですが、たとえば、男性同性愛がタブー視されたのに対し、女同士の親密な関係は、女学校などで、社会的に受容されていったのは、なぜなのかといったことを、明らかにしようとした研究です。本書には、たとえば、雑誌『青鞜』の平塚らいてうによる尾竹紅吉排除を、女同士の親密な関係を排除し、異性愛に向けて舵を切ったものと分析し、尾竹による『番紅花』を、日本におけるレズビアン・サブカルチャーの芽生えと位置づけるなど、大胆な指摘が随所に見られます。これまでセクシュアリティ研究というと、異性愛の研究か、または男性同性愛の研究が中心で、女同士の親密な関係については、あまり論じられることがなかったのですが、この問題に焦点を当てた、研究として、とても刺激的です。

次に6.大橋秀子『金子喜一とジョセフィン・コンガー』ですが、皆さん、金子喜一やジョセフィン・コンガーの名前をご存知でしょうか。正直なところ、私は大橋さんの本を読んで、初めてこの二人のことを知りました。金子喜一は、明治時代の知識人で、アメリカに渡り、社会主義運動にかかわる中で、ジョセフィン・コンガーと出会い、結婚します。コンガーに導かれつつ、フェミニズムにも出会い、コンガーといっしょに、『ソーシャリスト・ウーマン』という、アメリカ初の社会主義フェミニズムの雑誌を創刊しますが、結核のために帰国し、若くして亡くなった人です。

大橋さんの本は、この金子とフィンガーの足跡を丹念に追跡し、19世紀から20世紀にかけてのアメリカの社会主義者やフェミニストたちの主張を整理・紹介した作品です。金子も

コンガーも、歴史的に重要な人物であるのに、ほとんど知られていませんでしたが、本書を読むと、二人の人間像だけでなく、当時のアメリカの思想配置などが、手にとるようにわかり、興味を掻き立てられます。

 さて、今年度の受賞作は、大橋史恵さんの『現代中国の移住家事労働者』です。この本の意義や評価については、加納さんの方から詳しいコメントがありますので、私からは、ざっくりと簡単に内容を紹介させていただきます。一言で言えば、この本は、1980年代のいわゆる「改革・開放」以降の中国における、農村から都市への移住家事労働者についての、理論研究と北京での数年にわたるフィールドワークの成果をまとめられた作品です。

 中国では、計画経済の下で、女性も生産労働の重要な担い手として位置づけられてきましたが、市場経済化が始まる頃から、「婦女回家」(女性は家庭に帰れ)という、女性をかじ・育児・介護といった生産労働の担い手として捉える議論が出てきたことは日本でも話題になりました。しかし、この再生産労働が実は、都市においては、家事労働者として流入してきた農村女性たちによって担われてきた実情を、この本は明らかにしています。「婦女聯」という政府公認の女性団体が、家事労働者の仲介を専門に行う事業体を設置し、家事サービスの職業訓練や、家事労働者の管理を始めますし、やがて、民間企業体も参入して、都市では、家政サービスの市場が形成されていきます。社会構造的に見れば、差別的な戸籍制度によって増幅された都市と農村の経済格差を背景にして、農村女性が移住労働者として都市に流入する「回路」が編成されたということですが、他方で、個々の女性たちにとって家事労働者として働くことは、よりましな仕事に就いたり、結婚したりするためのステップであったり、既存のジェンダー関係を変えていく主体的実践でもあったということが、家事労働者として働く女性たちのライフヒストリーから、見事に分析されています。

 ここで分析されているのは、中国国内での移住家事労働者ですが、グローバル化した現代において、世界的に起きている、国境を越えた移住家事労働者の問題と通底しています。少子高齢化が進む日本でも、今後ケア労働の担い手として、海外からの移住労働者に頼らざるを得ない可能性がかなり高いと思われますが、そうした問題について考える際のヒントが、この本にはたくさん見出せます。

 グローバル経済下での再度生産労働の再編成というアクチュアルな課題に取り組んだ点、また優れた分析力の点で、大橋さんのご本は、群を抜いていました。ということで、選考委員会では一致して、大橋史恵さんが、今年度の山川菊栄賞にふさわしいと判断しました。

この本は、本格的な学術書で、しかも現代中国社会についての予備知識がないと、なかなか理解しにくい箇所もあります。実は私も最初はかなり戸惑いましたが、2回目に読んでみると、現代中国の都市‐農村関係の実情や、都市で働く農村出身女性たちの姿が、手に取るようによく理解できました。ぜひ皆さんも、本の厚さや7800円という値段にビビらずに、時間をかけて読まれることを、お奨めします。

ところで、選考の過程でわかったのですが、実は、大橋史恵さんは、先ほどご紹介した6番の大橋秀子さんの娘さんです。お母さんと娘さんが、同じ年に本を出版され、しかも、お二人とも受賞候補になられるとは、本当にうらやましいような、素晴らしいことだと思います。山川菊栄賞が始まって今年で31年になりますが、もちろん初めてのことです。大橋さん、本当におめでとうございます。