2010年度山川菊栄賞選考経過の報告

                           2011年3月

                                  井上輝子

山川菊栄記念会では、今年度2009年81日から2010731日までの期間に刊行された著作物を対象として、この婦人問題研究奨励金にふさわしいと思われる作品を選考させていただきました。8月に各方面に推薦依頼のハガキを郵送すると共に、各種新聞に掲載を依頼し、広く推薦作品を募集しました。その結果、別刷リストにある44の作品をご推薦いただきました。

このリストを基に、記念会では923日と1218日の2回にわたって選考委員会を開催し、慎重審議の結果、杉浦浩美さんの『働く女性とマタニティハラスメント』を、今年度の山川賞にふさわしい作品と判断いたしました。あわせて、富士見産婦人科病院被害者同盟・原告団『富士見産婦人科病院事件』に、特別賞をさしあげることに決定しました。決定に至るまでの選考委員会での議論の経過と、推薦された文献の概略、特に注目された、いくつかの作品について、簡単にご紹介させていただきます。

リストにありますように、今年度は44点という実に多数の関連文献が推薦されてきましたが、この中から、選考委員会では、まず川島慶子『マリー・キュリーの挑戦―科学・ジェンダー・戦争』、川口恵子『ジェンダーの比較映画史―「国家の物語」から「ディアスポラの物語」へ』、杉浦浩美『働く女性とマタニティハラスメント』、富士見産婦人科病院被害者同盟・原告団『富士見産婦人科病院事件』、妙木忍『女性同士の争いはなぜ起こるのか―主婦論争の誕生と終焉』の5作品を、第1次選考で選定しました。

川島慶子さんのご本は、偉大な科学者にして良妻賢母として知られる、伝説化されたマリー・キュリーの実像を、ポーランドとフランスの政治的位置関係、男性支配の科学の世界での挑戦等々、現代に通じる問題意識から描き出した作品で、とても読みやすい本です。フランスに帰化したとはいえ小国ポーランドの出身であり、かつ女性であることで、有形無形の差別を受けつつも、たぐいまれな能力と不屈の努力によって、成功を遂げたマリーの足跡が、見事にたどられています。

川口さんの本は、とても大部なものですが、1920-30年代フランスの「望郷」をはじめとする植民地映画から、ヴェトナム戦争期のヴェトナム映画、マルグリット・デュラスの「インディアン・サマー」、そして、トリン・ミンハの映画を、ナショナリズムとジェンダーの視点で分析した魅力的な大作です。

妙木忍さんの本は、1950年代から70年代にかけてのいわゆる第1次、第2次、第3次主婦論争の分析に加えて、80年代のアグネス論争を第4次、90年代の専業主婦をめぐる論争を第5次、「負け犬」論争を第6次主婦論争と位置づけ、詳しく跡付けた力作です。これらの論争が起きた原因、女性同士が対立させられる元凶は、女性の家庭責任という性別役割規範が依然として女性たちに降りかかっていることだと、妙木さんは結論づけています。

2回目の選考委員会では、これら5作品の中から、杉浦浩美さんの作品を特にお奨めしたいと判断し、今年度の奨励金の対象とさせていただくことに決定いたしました。また、富士見産婦人科病院被害者同盟・原告団の活動の記録に、特別賞をさしあげることに決定しました。

杉浦浩美さんの『働く女性とマタニティハラスメント―「労働する身体」と「産む身体」を生きる』は、働く妊婦が直面する不安や困難を、アンケートと聞きとり調査を基に明らかにし、労働と女性の身体との関係について、新たな問題提起をした作品です。調査の結果、マタニティ・ハラスメント(=妊娠を告げたこと、あるいは妊婦であることによって、上司、同僚、職場、会社から何らかの嫌がらせやプレッシャーを受けること)の実情が、具体的に明らかにされています。

1970年代以後、特に均等法以後、企業や政府の側も、フェミニズムの側も「労働する身体」としての共通性、平等性を強調し、妊娠、出産以外の男女の身体差を極小に見積もるという「平等化」戦略がとられてきました。その結果、妊娠によって「労働する身体」になりきれない女性は、労働能力の低下を自己責任として問題視され、さまざまなハラスメントを受けたり、退職を余儀なくされたりしています。

しかし著者は、何人かの女性の経験事例を紹介しつつ、「産む身体」と「労働する身体」を矛盾なく生きる道を探ろうとしています。さらに著者は、「労働する身体」の秩序と矛盾する身体性は、女性の「産む身体」に限らないことを指摘し、労働領域における「多様な身体」の可能性を問いかけるなど、とてもチャレンジングな作品です。

ところで、皆さんは富士見産婦人科病院事件をご記憶でしょうか。1970年代に、埼玉県所沢市の富士見産婦人科病院で、医師免許を持たない院長が、当時珍しかった超音波機器を使ってでたらめな診断をし、手術する必要のない卵巣や子宮の摘出手術を重ねていた事件です。わかっているだけでも1000人を超える被害者がいます。事件が発覚した1980年に被害者同盟が結成され、真相究明、責任追及、再発防止を訴える活動を開始します。そして、理事長・院長・勤務医を傷害罪で告訴したほか、1981年には原告団を組織し、民事訴訟を提訴します。その後、長い裁判闘争の後、21世紀になってから民事の勝訴が確定し、元院長らの医師免許取消処分が下されました。

この富士見産婦人科病院の被害者ならびに原告団の方々による30年に及ぶ活動の記録をまとめたのが、『富士見産婦人科病院事件―私たちの30年のたたかい』です。ここには、裁判や活動の具体的経緯とともに、被害者や支援者の手記、弁護団の見解や専門医による調査報告、また200ページ近い資料集も収録されています。これを読むと、最初はマイクをもつのも恐る恐るだった被害者女性たちが、粘り強い運動を積み重ねる中で、裁判等で勝利するにいたった事実に勇気つけられると同時に、女性の身体や性の尊厳が軽視され金儲けの材料にされている実態、インフォームド・コンセントやセカンド・オピニオンの重要性、保険制度や医療行政の問題点等々にも、気づかされます。

以上のような経過と理由で、2作品を該当作とさせていただきました。2作品とも期せずして、女性の身体に関わる問題を提起したものでした。

なお、今年度の贈呈式は、3月26日に実施する予定でしたが、東北東日本大震災の被害および原発事故が予断を許さない状況にあることなどにかんがみ、中止させていただきました。贈呈対象者の方々、また贈呈式を楽しみにされていた方々には、申し訳なく思いますが、事情をご理解いただきたくお願いします。贈呈書、奨励金、「第30回山川菊栄記念婦人問題研究奨励金 しおり」(贈呈対象者の略歴、推薦のことば等掲載)等は、後日、それぞれの贈呈対象者にお届けし、お祝いする予定であることを申しそえます。